小幡敏の日記

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統治機能をもたない国

連日連夜コロナコロナで大変騒がしいですが、どうにも納得がいかないのは、日本政府の対応を批判的に見るものが多いことはともかくとして、その原因を自民党政権ないし安倍・麻生・菅等の無能に見ていること、あるいは、日本の政治家に腹を立てていることです。

 

私とて、この方々は決して日本にとって有益な人間だとは思いません。むしろ、現状としては有害であるといった方がよいでしょう。

 

しかしながら、こういうことは単に現政権や政治家の資質のせいにしているだけでよいものでもない。日本政治がまるで統治機能を担えていないことは、国民の責任であります。

 

そもそも、統治とはなんであるか。それは今回の慌てふためき方を見れば明らかなように、危機をも見越した継続性への努力です。そこには災害対策から国防、経済振興社会福祉などらあらゆるものが含まれますが、それらをつらぬくものこそ、この国の継続性なのでしょう。

 

それ故、政治には世代間の調停や権利の制限も含めた、国民個人にとって不愉快になりうる努力も求められます。

 

しかしながら、日本では戦後自主独立を放棄したときからこの国家の最大にして唯一の機能への子ども染みた反発が基調となっています。お上への盲従こそが常民の心得であったこの国で、この一揆というのはなかなかに感慨深い変化といえます。

 

ですが、いざ危機に陥ると、斯様な反逆がまるで馬鹿げたお遊びであったと白日に晒されます。どうですか、このていたらく。国民がこれほどまでに国家を機能不全にしたのです。国民による権力への監視というものが、単なる国民の欺瞞であり、ルサンチマンの慰めであったことが明らかではないでしょうか。

 

コロナなど、たかが疫病です。そんなもの、暴走しようが医療崩壊しようが、はたまた経済が傷もうが、そんなものはたかがしれている。数万の悲劇は数万の悲劇でしかない。それは個人にとって最大の悲劇であることはたしかですが、共同体はそれでも続いていくものであり、生き続けなければならないもののために必要なことを重ねなければなりません。

 

しかしながら、これが戦争だったらどうなるか。これは断言できますが、今回国民が目撃した政府の頼りなさと全く同じものが見られるはずです。そして、今度は自粛疲れなどといっている暇など与えてもらえないから安心してよろしい。

 

戦に負けるということが一体どれほど悲惨なことか思い知るまでにさしたる時間はかからぬはずです。それは戦争の悲惨などよりも遥かにつらいものだ。なぜなら、我々は自身の痛みよりも愛する人の痛みに弱くできているのだから。

 

それを思えば、今思うべきはこの国の統治の回復であり、具体的にはこれを反映した憲法の制定です。

 

それを後回しにする限り、我々の国に統治はなし得ず、危機はすべからく危難となり、日本人は永久に奴隷に留まり、果てしのない不毛の中に疲弊していく道は避けようがありません。

 

そんな悲惨は決して受け入れたくない。私にも幼い子があります。この子らにまともな社会を用意してやる、それこそが我々の使命であり、責任であります。だからこそ我々はコロナを単なる疫病騒動に終わらせず、この国の強靭化につなげていかねばならない、そう強く思う次第です。