世間では誰もがコロナについての即席博士になっていて、臆面もなくその無謬の意見を開陳している。
一億総評論家の醜さはなかなか壮観で、連日メディアが垂れ流す情報から少しでも整合的で信じられる立ち位置を探してそこに一息ついたと思うと、すぐさま足下があやしくなる情報に触れ、また右往左往をはじめる。
こんなものは程度の問題で、どんなテーマについても誰しもやっていることなのかもしれないが、小人閑暇して不善をなすとはよく言ったもので、昨今はあまりにも甚だしい。
少なくとも、絶対的に言いうるのは、「コロナについてはまだよくわからない」のであり、「それでも感染の爆発を抑えつつ、経済的な生存も目指す」ことであるのは明白であるのだから、それに資する行動をとればいい。
なぜこれほど曖昧で不透明な出来事についてそんなにも確信的に他者を批判できるのか。お手前の当初からの変わり身を思えば、恥ずかしくてとても人に意見など言えないのではないか。
ちなみに、私は一貫してコロナ恐るるに足らず、仕方がないから言われた予防はするが、生活の、少なくとも精神生活の中にコロナの侵入は決して許さない、名誉ある無関心を守っております。