小幡敏の日記

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原稿掲載について

表現者クライテリオン』誌今月号をお読みになった方はお分かりのように、来月に別冊増刊号が出版されるとのことです。

 

こちらはコロナ特化の別冊になるのですが、私のようなコロナとは縁もない人間も原稿を書かせていただいたので、掲載される予定です。

 

内容については、これはもうほとんどの読者の方と同様に「コロナよりやらやければならないことがある」ということ(勝手に同様と思っていますが)なのですが、それと向き合わない原因、さらには日本人の宿命的な無責任さや欠陥について書きました。

 

次号から掲載予定の自衛隊に関する原稿の内容とも若干リンクするので、前座としてお読み頂ければと思います。

 

なお、自衛隊への論考については、個人的な経験は考えがあってほとんど排除したものの、質、量ともにいまご提供できる最大限のものを書かせて頂いたので、是非とも読んでいただきたいと思います。全三回ですが、1・2回は私にしてはかなり具体的に(いつもは無精して省いているような)書きましたので、自衛隊の抱える問題についてよくご理解頂けると思います。

 

除隊後、元自衛官が書いたものなどをちょくちょく読んでいるのですが、自衛隊に批判的なものは見当たりません。一見批判のようにみえても、それは単に予算の問題だったり、法制度上の問題に還元されてしまっています。しかしながら、現実に抱えている問題は、もちろうそうした問題もあるものの、その前段階としてあり方それ自体にあるわけです。それを法制度上の問題とすることも可能であり、それはまた正しいのですが、むしろそこに国民の不正をみとがめなければならないというのが私の常日頃から申し上げているところであり、それについて論難しているものは皆無であるように思います。

 

そりゃ国民に向かって国民が悪いというのは随分と分が悪く、また天に唾するようなものなので気が進まないのはわかりますが、やはりどう考えてもこの問題にもっとも責任を負うのは国民であることからして、国民を糾明しなければ如何なる議論も欺瞞的にならざるをえません。

 

それ故に私は国民を攻撃しますが、勿論私自身国民の一人でありますから、この矛先は自分にも向かっていることは自覚しております。

 

ですから読者諸兄には、是非これを若造の不遜と即断せず、なんとかご辛抱の上、ご寛恕いただければと思います。