小幡敏の日記

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人殺し日本人は人が死なねば動かぬか

医師二人が嘱託殺人で逮捕されたという。

 

『被害者』はALS患者で、自ら安楽死を望んだというが、これを受けていらぬ騒ぎも起きているようだ。

 

私はそういったお騒がせ事件に興味はないが、ひどく憂鬱になるのは、日本人がいつまでたっても人殺しだということだ。

 

その理由は単純である。日本人は人が死ぬまで決して動かぬ。例は腐るほどあろう。労働基準法は大勢の過労死でしか変わらないし、哀れな虐待死が凄惨な様を世間に曝さねば、だれも児童保護のあり方を変えよとはいわない。

 

或いはコロナに関してもそうだろう。この国の人間は目に見える経済死やマスクによる熱中症死者が出なければこのやり方を変えないだろう。なおかつ、その死者は善良でなければならないというオマケ付きだ。

 

思えば今の恐怖一辺倒に振れたのも一芸人の死が悪く作用したからであって、この揺り戻しもやはり死が要請されるというのは道理だ。これでは日本人はなんと死が好きなことかと冷やかしたくもなる。人が死ぬ前に何かする気はないのか。

 

これはこじつけだが、やはりこの国は戦後そうやって生きてきたのだろう。独立、主体、自律ということから最も逃げてきたのがスゴい日本人だ。いやはや、スゴすぎて呆れてしまう。

 

結論は決まっている。だからこそ現憲法の唾棄ないし全面的改正が必要なのである。それを欠いては我々はいつまでもこの死んで始まる改革劇から逃れることはできまい。

 

そしてそんなことをしていてそこそこの生活が送れた時代は終わりつつある。次の時代に日本人が占める位置はどこか。神さまがもし公平を尊しとなすなら、私はどんな境遇に落ちようとも文句は言えないものと思う。