小幡敏の日記

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国会議員削減

この四半期のGDPが27%近く毀損したと報道がされた。

これを受け、各方面でまたやたらな悲観論や楽観論が撒き散らされているが、国民の野次の中には、こういう苦しい時には国会議員の歳費を減らせ、議員数を減らせというものが目立ってくる。

 

私とて国会議員などどうなってもよいし、彼らの数が国民の良識を担保するとも思わないからそれ自体の当否について思うところはない。

 

だが、それを求める人達の中に、このことを通じて民主制を健全なものにしようとの意識がまるでみられず、単なる貧乏性でこれを主張するのには辟易する。

 

まず明らかであるのは単に政治家の数を減らしたり歳費を削ってみたところで政治家の質は変わらない。それどころか、ただでさえ血の巡りの悪いこの世界をより淀ませることにより密室政治に拍車がかかることさえ予想される。

 

至極簡単に述べるのであれば、ごく一部を除いて現在の国会議員などさほど恵まれてもおらず、数千万の歳費というが、秘書も雇えば事務所も構え、選挙もするのだからこれを自分の数百万の収入と比べて多寡を論ずるのはあまりにも粗雑であり、いくらなんでも国会議員が可哀想だ。

 

そしてこれらの歳費はせいぜいがアベノマスク程度の規模であるから、これをどうこうして財政的な改善がはかられるという主張などははじめから論ずるに値しない。

 

まず隗よりはじめよ、的な意見もあるかもしれないが、それならばなおさら、その後に出来する政治体制がまともな民主制を担いうるとの目論見がなければ成り立たぬ。そしてそれは非常に難しいといわざるを得ない。

 

ではどうすればよいか。

 

それは民主制を取り続ける限り明らかではないか。「裏切られた」などとカマトトぶることなく、ただひたすらまともな国会議員を選出するしかない。断じてそれしかないのである。

 

私はそれが可能といいたいのではない。いや、むしろそれが不可能であるからこそこの惨状となっているのである。その不可能性から目をそらして国会議員を減らせなどと言っている限り、おそらく国会議員の質は上がらないだろう。

 

すべきことは如何に民主制というものが破綻しているか、国民が民主制を担うだけの覚悟も見識も欠いているか、それを自覚することである。

 

国民は馬鹿じゃない、などというが、一人一人はいざ知らず、総体としての国民は馬鹿と言って何の障りがあろうか。

 

最後に申し述べておくが、私とて国会議員はどうしようもない連中だとは思っている。私はこういうことに関しては出鱈目だから、もう10人くらいの元老でやればいいなどと放言したくもなるが、そうはいかないだろう。

しかしながら、昨今の国会議員をみていると、これが国民の内から選ばれた選良なのか、それならば亡国もやむなしと思う次第である。