小幡敏の日記

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自衛隊ですら、右も左もクズだらけ

自衛隊時代の仲間で、大阪にダニみたいな男がおりますが、こいつは今年除隊しました。

 

汚い子犬のようなやつではありますが、それで結構情にあついところもあり、このほど同期の教育課程卒業に合わせて遠路はるばる大阪から北関東まで駆けつけたという。

 

それがどうか。わずか三時間の滞在時間さえ歓待されることなく、こいつはそれこそ汚い犬のような扱いを受けたそうです。

 

これはこの男が元々嫌われていたとか、そういうことではない。むしろ一部の防大生を除けば大変好かれていたはずなのです。

 

残念ながら、こういうことは想像に難くない。

彼は記念に写真をとろうといえば「密はまずいから」と言われ、隣に座ろうものなら「勘弁してくれ」と言われたそうだ。

 

そういうところなんだよ、自衛隊も。

僕はこういうのが本当に嫌だ。こちらが強い思いで向かったときにその瞬間を台無しにする振る舞い、それは男の信頼を完全に破壊します。そんなことをされれば僕はそいつを永久に信頼しません。軽蔑し、侮ります。穢らわしい畜生だと思います。少なくとも、そんな女子供の理屈で生きているくず(女子供が女子供の理屈でいきることはいっこう構いません)、これは絶対に兵隊には向かない。そんなやつに命はあずけられません。

 

平時も戦時も、そういうことに変わりはない。この手合いは戦争になったって同じです。らい病患者だった冉伯牛を見舞った孔子のような態度は絶対にとりえない。相手が肺病だろうがなんだろうが、死に目にあえば手を握ります。それでこちらが死のうが、そんなことはあとで考えればよい。

もし僕の中に手をひっこめるような気持ちがふと湧いたとしましょう。僕はかえって強く彼の手を握ると約束しよう。そのくらいの気持ちはいくら落ちぶれたとはいえ、僕の中には残っている。

いつも話していた幼い我が子のこと、その後を口の聞けなくなったあとでも安心して託すことができるような相手、そういう馬鹿げた関係が馴染む相手とでなければ、どうして戦争などできようものでしょう。

 

そういう話を聞いてもう一人の、青森のダニを思い出しました。こいつは歌舞伎町でキャッチをやっていたような、なかなか物を知ってる男ですが、僕は一等信頼を置いていた同期だったから、今でも時々心配になる。期待通りというかなんというか、やはりこいつもくずのような同期たちの心の卑しさを呪い、くずに囲まれた生活に倦んでおりました。同じ気持ちを共有できないことがこんなにも辛いことなのか、そういって絶望しておった。

 

自衛隊とてそういうところなのです。

 

自衛官も兵隊にはいくらか良いのがある。そういうのをつかまえてきてなんとかだましだまし、自分を言い聞かせながらでなければ、到底あんなところには居られません。

 

くずが多数では、どうしようもないのです。あいつらにとっては、友情などよりコロナが勝つ。馬鹿ほど分別ぶるのはいつの時代も同じでしょうが、兵隊が分別ぶるとはなにごとか。

 

戦友なくして戦争が出来ると、そう思っているなら大間違い。

イージス艦を増やせだなんだと、好き勝手いっておる者もありますが、馬鹿やろう、それを動かすのは誰だと思っているのか。

 

自衛官が士気高く規律正しいなどというのは、日本人が民度高く秩序を守るというのと同じく全くの幻想であります。

 

明治の三陸津波ではいったい何がおこったか。前後を見比べて変わったことといえば、金持ちと貧乏人がひっくり返ったのです。なぜかといえば、貧乏人がこぞって不明者捜索にかこつけて盗みを働いたからだ。

 

僕はそれを聞いても驚かない。日本人だって人間です、周りの身勝手な人間をみていれば、そんなことはなんの不思議もない。

 

ですが、それでもなお、私たちにはどこかで共同する位相が必要なのです。そんなことを全く度外視して、国家の存続や繁栄などを考えても、それはかならず無駄に終わるでしょう。

 

僕らにはもはや同じ故郷が、同じ思想が、同じ記憶がないのですから。