小幡敏の日記

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私の原体験

原体験という言葉はやや軽薄な気がするので好きではないですが、今の私の主だった感覚感性は、それこそ三つ子の頃には概ね定まっていたように思います。

 

たとえば現代が嘘で昔が本当なんだという絶対的な信頼は、幼稚園児だった頃に行ったサイパン旅行の経験に拠っています。

 

あの時は、今もあるのかしりませんが、ホテルニッコーサイパンというところに泊まり、まだウォータースライダーなんかには乗れませんでしたから浮き輪で遊ぶか、海岸の海鼠を海に投げるかしておりました。或いは夜に浜辺でバーベキューをして、現地の土人が愛想良く食べ物を取り分けてくれたり踊ってもてなしてくれるのが嫌でたまらなかったのを覚えています。饗応される言われもないのにもてなされることに、なんとも言えない居心地の悪さを覚えました。いや、こういうことはきっと続かないなと、心が凍るような嫌な寂しさを感じました。それを親に伝えようとしたものの、自分でもうまく言えず、ただ不快だった。母親からは、体調悪いの、何が嫌なの、としきりに尋ねられたのを覚えています。もちろん、遊んでいる最中はそんなことは忘れるのですが。

 

そして何より、ツアーか何かで戦跡巡りをしたとき、軽戦車や海岸砲台の残骸をみた後でバンザイクリフに行くわけですが、僕は非常に感動しました。

 

こんな南海の孤島にこんなものを揚げて戦い、そして民間人もろとも死んだ日本人が居たのだと、そういうことに恐懼しました。いや、むしろ誇らしく思えた。信じられない努力をしたのだと、大変感心しました。

 

然るに、その時まわりのツアー参加者は実に不真面目に観光していた。流石にバンザイクリフではしゃぐほどの馬鹿は居なかったものの、戦車を前に笑顔で記念撮影をしたり、或いはツアー自体を退屈そうにこなしているやつはごろごろ居た。

 

僕は記念撮影はとても嫌だと思ったし、むしろこういう先人の苦痛を前に示す日本人(というより当時の私にとっての全ての現代人)に虫酸が走る思いがしました。

 

それからです、私が現代人を軽蔑するようになったのは。こういうことになるのが幸せかどうか、それはわかりませんが、ああいう経験がその後の成長をかなりの程度規定することは確かにあるのでしょう。

 

それが良いか悪いか、そんなことはわかりませんが、私はそういうことから逃げてはならないと思う。人はもっと醜く不快な経験をすべきだと思う。

 

それをしないから、人は毎日飽きもせずに醜いお喋りに興じているのだと、そのように思います。